人気お笑い芸人や、個性派俳優、有名人など、その地位に上り詰めるまでにみんな人知れず苦労を経験しています。
そんな下積み時代に、ホストクラブで働いていた経験を持っている芸能人・有名人を今回はご紹介!
「え?!あの人も働いてたの??」とビックリすること間違いなし!
アナタも成功への足がかりとして、ホストクラブで働いてみませんか?
最終更新日:2015-09-09
GACKT
ビジュアル系バンド『MALICE MIZER(マリスミゼル)』のヴォーカルを務めていたアーティストGACKT。
一般的には経歴などを一切公表していないが、本名は岡部学といい、沖縄県出身で滋賀・栗東市に転居。
デビュー前の19〜21歳ぐらいの間に滋賀県のカジノでディーラーとして働いた後、京都のホストクラブで働いていたという。
当時の源氏名は『シュカ』。キャッチコピーは“京都の夜を熱くする男”と呼ばれていた。
因みに、京都で知り合った8歳上のホステスと1997年に結婚し、即離婚。
最近では、高級車ランボルギーニの総額で1億円近い特別仕様車を購入し話題になった。
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高知東生
女優 高島礼子の元夫して知られている高知東生も、20歳の頃に銀座のホストクラブに勤務していたという。
それ以外にも本名でアダルトビデオに出演し、1991年に人気AV女優 あいだももと結婚(1996年に離婚)している。
デビュー前後の経歴がアウトローな印象を受けるため、高島との再婚時にはかなり話題に。
実際、高島のマネージャー的な仕事もしていたので週刊誌等では“ヒモ”と呼ばれていた。
ただし、人柄はかなりのナイスガイのようで、業界内でも非常に高評価を得ているという。
ハンサムな顔立ちに加え、気配りが出来るというのは、ホストだった頃の名残かもしれない。
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石井竜也
『米米クラブ』のでメインボーカルを務めている“カールスモーキー石井”こと石井竜也。
芸術家、映画監督としての顔を見せる彼もまた、10代後半の頃にホストクラブで働いていた過去を持つ。
ただし、プレイヤーとしてガッツリ働いていたという訳ではなく、友人の代理で出勤し、厨房での皿洗いや、客のコートをハンガーに掛けるなどのウエイター的な仕事に従事していたと、石井本人が雑誌のインタビューで語っている。
因みに、現在の容姿やオーラからは想像できないほど、当時の石井は無口で喋り下手で人と距離を置く暗い少年だったという。
内勤向きな性格だったからこそ、友人からの依頼を引き受けてホストクラブで勤務していたのかもしれない。
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特集:ホストの内勤とは?給料、仕事内容を紹介
ピスタチオ 伊地知
「なんのっ?」などの妙なツッコミが人気を博し、徐々にブレイクしてきているお笑い芸人ピスタチオ。
ボケを担当する伊地知大樹は、歌舞伎町の某ホストクラブで「春風亭嵐」という源氏名で働いている。
ホスト歴約5年、最も稼いでた時期で月収は400万円超、お店のNo.1ホストに輝いたことがあるというから驚きだ。
ホストを始めたのは24歳と遅咲きで、周りからは“ジジィ”と言われていたという。
因みに、ホストを始めたきっかけは“嫁探し”だったそうで、席につき1席1席を自分の嫁にするぞ!抱きたい!という野心があったんだとか。
その野心を全面に出してアピールしたことで、No.1ホストになれたとインタビューで本人が分析している。
特集:ホストの役職とは?
次長課長 河本
年金の不正受給を行ったとして一時期メディアを騒がせたお笑いコンビ『次長課長』の河本準一も、元ホストのお笑い芸人として有名。
19歳の時にホストクラブに勤務。源氏名は「準(ジュン)」だった。
コント中に見せるタンバリンを使った様々な芸は、ホスト時代に習得したようだ。
在籍時のエピソードとして“No.3ホストだったけど、お店には4人しかホストがいなかった”というオチをつけて度々語っている。
ファンの間では、ホストクラブというより4人しかいないバーの店員だったのでは?という事も指摘されており、もしかするとボーイズバーで働いていたのかもしれない。
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特集:ボーイズバーで働くスタッフにインタビュー
エスパー伊東
カバンに全身を入れたり、激辛アツアツの料理を平然と食べるなど、身体を張った芸でお馴染みのエスパー伊東。
ナイトワークが舞台のドラマ「黒服物語」が面白いと知ったエスパー伊東が、ブログ内で自らがホストとして働いていた過去を赤裸々に告白し話題になった。
かなりの売れっ子ホストだったらしく“1人が65万円のオーシャンシップを入れると言い出すと、もう1人は100万円のバカラをキープした”などを語っており、エスパー伊東を巡って女性客が取り合いをしていたという。
お世辞にもイケメンとは言えないエスパー伊東だが、笑いで身体を張ることで売れっ子ホストになったのだろう。
顔だけで勝負しなくても巨万の富が稼げるという、ホスト業界ならではの成功談だ。
因みに現在の年収は、結婚式などの出張営業が当たり2000万円超。まさに勝ち組である…。
採用基準は顔ではない!?特集「面接時のチェックポイント」
城咲仁
上記で紹介してきた芸能人とは違い、ホストとして大成功を収めた後、芸能界入りをした城咲仁。
歌舞伎町にある超有名ホストクラブ「クラブ愛」で、5年間ナンバーワンに君臨し、芸能界入り以前から“カリスマホスト”としてメディアに多数取り上げられていた。
当時の年収は1億円超。
数々の伝説を残してきた城咲だが、ホスト時代は“店外でお客さんとは絶対に会わない”というポリシーを掲げていたそうだ。
枕営業とは無縁でナンバーワンをキープし続けた城咲は、突如としてホストを引退し芸能界へ。
タレントとしてバラエティー番組に出演したり、ホストの仕事内容や業界について詳しく語ったり、政治討論番組に出たりするなど、様々な番組でマルチな才能を発揮。
現在は、フードアドバイザーとして悠々自適な芸能生活を送っている。
特集:NO.1ホストにインタビュー
特集:ホストは何歳まで働ける?引退後の将来について
浅田敏治
浅田敏治と聞いてピンと来る人は少ないだろう。
フィギュアスケートの浅田真央、浅田舞の実の父親が敏治である。
名古屋市内の歓楽街「女子大小路」で売れっ子ホストとして働いていた。
後に大阪のホストクラブでオーナーを務めるなど経営者として頭角を現していき、当時の年収は1億円を超えていたという。
お客としてお店に来ていた匡子と出逢い、結婚。1988年に舞、1990年に真央を授かる。
以降は複数の店舗に渡り、ホストクラブやパブを経営していたが、娘にフィギュアスケートをさせる為に全財産を注ぎ込む。
浅田姉妹がフィギュア界で有名になるにつれ、風俗経営からは手を引いてしまったようだ。
特集:ホストクラブの経営者(オーナー)になるには
林下清志
「元ホスト」という括りではないが、素人が人気タレントになったことでホストに転身した芸能人もいる。
林下清志こと“ビッグダディ”は、5度の結婚と5度の離婚を経て、連れ子を含めると最大20名の子供を育む大家族のドキュメンタリー番組の破天荒な父親として人気になったタレントだ。
接骨院で働いたり、タレントとして有名になると自伝を出版したりやイベントに参加したりと様々な職を転々としていたが、彼が新しく始めた職業が新宿歌舞伎町のホストだ。
知人からホストクラブのオーナーを紹介され、最初は有り得ないと思っていた入店の打診を、オーナーの男気に惚れ“ではやってみよう!”という気持ちになったとブログで報告している。
50歳でのホストクラブ入店は、一般的にはあまり聞かない話だが、ビッグダディのようにタレント活動も含めた人生経験が豊富な人間の語る話は絶対に面白いはずだ。
酒好きでオンナ好きのビッグダディにとって、ホストという仕事は天職になるかも。
特集:年齢制限なんて無い!30代ホスト
特集:新人ホストが売れるには?
KOHH
宇多田ヒカルとのコラボで注目を集めた若手実力派ラッパーのKOHH(コー)。
モデル 宮本彩菜へのクンニ動画で炎上した彼もまた、自叙伝の中で過去にホストをやっていた事を告白している。
全身タトゥーの見た目に加え、奇抜なファッションセンス、歌詞の中で“ビッチ達が俺とセックスをしたがる”と言ってみたり、母親の薬物依存をカミングアウトしたりと、過激な表現や独特のオーラがKOHHの魅力。
海外での人気も高く、今が旬のカリスマ性のあるアーティストだが、ライブではホストだった当時のお客さんが最前列に駆けつけているんだとか。
クンニ動画にしかり、モテる男は羨ましい…。
特集:ホストのモテモテエピソードを大公開!
ホストの体験入店にチャレンジ♪
雑誌モデルやTV取材を受けることもあるホストは、芸能活動の下積みとしてとても向いている仕事です。
公表していないものを含めれば、ホスト(ホストクラブ)を経験した芸能人はもっとたくさんいることでしょう。
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